Choueke Family Residence

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ラブストーリー

昔、海外の顧客が「ビジネスを勉強させる」ために息子を日本に送ることは一般的な風潮でした。2、3週間日本に滞在し、エズラ・シュウエケのオフィスに毎日通い、オフィスのスタッフと各所の工場を訪れ、日本でのビジネスについて理解を深めていくことが大体の筋書きでした。これらの若い男性達は、通常この家のゲストルームに泊まりました。彼らが日本に送られたもう1つの理由として、両親が気に入らない相手と恋愛していた場合が挙げられます。神戸に行かせることは口実で、今の恋愛関係が終わることを願っていたのです。

 

ヨーロッパで広い土地を所有しながら、他のビジネスや輸出入の仕事に携わっていた、非常に裕福なイタリア人の顧客がいました。その人には3人の息子がいましたが、2番目の息子のラファエロは、父から日本でビジネスを勉強するよう勧められました。しかし父親の意図は、美しいが年上のオペラ歌手との恋愛に終止符を打つことでした。ラファエロは、若くハンサムでヨーロッパでは一流の学校で教育を受けました。彼は4カ国語か5カ国語に堪能でアマチュアのシンガーであり、またギター奏者でもありました。彼が神戸に到着した時「イタリアのプリンス」というニックネームがつけられました。というのも、彼は貴族の出であり、また彼の振る舞いが王子様の様だったからです。靴も含めた彼の服は、全てロンドンやフィレンツェで仕立てたものばかりでした。彼は運動もでき、音楽や美術にも精通していました。1950年代、神戸で頻繁に開かれていた様々なディナー・パーティで、彼はひっぱりだこでした。

 

その当時、九州から来た魅力的で若い家政婦がいました。彼女の名前はきさ子といい、皆からはきさ子さんと呼ばれていました。彼女は美人で元気があり、魅力的で活発な娘でした。彼女は邸宅の一員として扱われ、皆からとても愛されていました。

 

1カ月後にミラノに帰るはずだったラファエロは、神戸にそのまま残りました。父親にいつ帰って来るのかと尋ねられた時、まだビジネスについて学ばねばならないことが沢山あり、事実、日本語の勉強を始めたのでまだ帰れない、と答えました。これはうまくいき、よかったのですが、1カ月ほどしてから、ラファエロはシュウエケ氏の所に来て、胸の内を告げました。

 

「シュウエケ様、きさ子さんと恋に落ちました。彼女と結婚したいのです。」

 

「このことを、君のお父さんに話してみようか?」シュウエケ氏は尋ねました。

 

「いいえ。そんなことをしても無駄です。」ラファエロはハンカチで涙をぬぐいました。(日本では、男の人が泣くのを見るのは珍しいことでした。しかし、イタリア人の間では普通のことであることをこの時知りました。)

 

「何故だい?」シュウエケ氏は彼に聞きました。

 

「彼女が拒否しているのです。彼女は外国人と結婚するのがいやなのです。」

 

「君は髪が赤いし、体中、毛が生えているからな。」

 

「そんなに悪いことですか?」

 

「そうだね。昔の祖先とあまり変わりないようだからね。」

 

「猿ですか?」

 

「その通り。」

 

「どうすればいいんですか?」

 

「ラファエロ君、結婚するなら、他の人を探した方がいいよ。」 シュウエケ氏はそう告げました。

 

どうやら次のような仲だったようです。ディナーの後、多くの若者と同様に、ラファエロは街に出かけていました。これは普通の行動であり、家の中で疑いを抱く人はいませんでした。実はきさ子さんも家からそっと抜け出し、彼と会っていたのです。2人は手をつないで、街に数多くあった狭い細道を一緒に歩き、恋するカップルが行く公園や喫茶店に行き、一緒に話をしたりして過ごしました。きさ子さんが休みの日には、皆に秘密で京都や他の近い場所や寺に出かけたり、庭園や美術館を探索したりしました。素晴らしい恋でした。また、きさ子さんのイタリア語は、ラファエロが日本語をマスターするより早く上達したことも、事実だったようです。このことはラファエロが告白するまで、誰も知りませんでした。

 

ラファエロは失恋して打ちひしがれ、イタリアに帰国しました。そして贅沢で豪華な生活に戻りました。イタリアからきさ子さんへの手紙を何通も書きましたが、返事がくることはありませんでした。そこで、シュウエケ氏に彼女のことを尋ねました。しかし、その返事にはあまりいいことが書かれていませんでした。ラファエロが出て行って間もなく、きそ子さんは邸宅を出て九州に帰ったというのです。そして彼女の両親が、村の若い男性と彼女をお見合い結婚させたらしいのです。1年後にきさ子さんは女の子を産み、春に生まれたことから春と名付けました。それから2年後に男の子を産み、おさむと名付けました。3人目の子供を産んだ頃、ラファエロは、もうチャンスはなく、彼女をあきらめなくてはならないことを悟りました。そして彼は美しくて若い、両親が認めた女性と結婚しました。しかし彼の心は、神戸のきさ子さんから離れることはありませんでした。

 

これは本当にあった話です。ラファエロはその後、この世を去りました。彼の家族は今でもイタリアに住んでいます。きさ子さんから連絡はありません。昔のことで、恐らく過去は過去のこととして忘れてしまうのが、最も賢いのかもしれません。ここでは、こちらの判断で登場人物の名前を変えています。あなたも、神戸での生活を退屈なものだとは、決して思わないでしょう。

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