Choueke Family Residence

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Family Room
Yokohama-Ei
Shunso
koyanagui
Wores
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キャロル

高校三年の時母親から1953年度のビュイックを譲ってもらえるよう説得できたのは、学園でたったひとり、ぼくだった。大きくて黒い、ガソリンの大食らいだった。あれに乗ってると、まるで十円玉をバラまきながらサンノミヤをはしらせてるようだった。さてぼくの学年には新入生がいて、名前はたしかキャロルだったと思うけど確かじゃない。ある朝、ぼくは自慢げに車で登校していた。ちょうどゴモの上がり坂を登ろうとした時にぼくは目を見張った。これはこれは!坂のふもとに美女キャロルが一人ぼっちで、しかも彼女はぼくの助けが必要な様子ではないか。

 

当時学園内では競争が激しくて、中でもトップクラスはスティーブ・フリューリングほか多数だった。ぼくは二階級候補のグループに位置を占めていた。キャロルはバーサ・マーティネズと仲が良かったから、ぼくはバーサに気に入られてキャロルに近づけるようにと真剣になって頑張っていたものだ。これぞ遠回り作戦といって、ぼくの遠回りな考え方にピッタシだった。彼女に面と向かって「ぼくと一緒に…」とか「もしよかったら…」と言うなんて、とんでもない。もし彼女がノーと答えたらどうすればいい?恥さらしになる上に、祈祷が終わるよりも早く学園中のみんなに知れ渡ってしまう。それだからぼくは、友達のバーサに頼んでキャロルにぼくの株を上げるような話を小耳にはさんでもらったのだ。話が逸れてしまったので、とにかく戻そう。

 

あの大きな坂を上がりはじめる所でぼくが力いっぱいブレーキを踏みつけると、車は金属音をきしませて止まった。車から飛び降りたぼくは、騎士的に彼女の方のドアを開き、彼女を座席に座らせ、カッコ良く彼女を学園に送り届けるつもりだった。校舎へつづく階段は広場にあり、そこにちょうどバス停留所があったから完璧だった。さて、覚えている人はいるだろうが、キャロルは学園で一番に最高な胸元の持ち主だった。そんなものだからぼくは彼女の知性に専念して賢い会話をしようとしたり、親身になって彼女が日本のことや友達をどう思ってるか聞くふりをしているうちになんだか頭がぼうっとしてきていた。時間と空間が一瞬ごちゃごちゃになり(これがアインシュタインの相対性理論のいい実例、夢の彼女とCAの丘でのドライブと相対的に) そして一瞬後元に戻り我に返った。坂を下って来たもう一つの車に真正面から衝突したのだ。何て恥ずかしいことだったろう!自分の立場がなかった。

 

自分で言い訳もできず、ただ無実な相手の運転手に当たり散らすくらいだった。キャロルもどうすればいいかわからず途方に暮れていた。ぼくたちは車から降りた。ここが一番情けないところだ。ぼくらが車から降りた時、丁度スクールバスが坂を上がるところだった。キャロルは手を挙げてバスを停め、ぼくに不思議なのは一体どうやってあの狭いバスの乗車口からあの立派な胸元をもつ彼女が入れたことだったが、ともかく乗り込んだ。

バスに乗っていた生徒たちの中には一年生もいて、ぼくを指差したり道路の傍らにあるねじまがったふたつの金属のかたまりを差し、何が起きたのか知りたがったろう。バスは間もなく、ぼくを埃とディーゼルの排気ガスと共に置き去りにして行った。これでぼくのキャロルとの『チャンス』がフイになったのは言うまでもない。その後は見事にフリューリングが持ち味の沈着さとサヴォア・フェール(savoir faire)でタスク完了だった。仕方がない。既に起きてしまった事は変えられない。その後スティーブが彼女をダンスに連れて行った時に起きた事件の真相は彼に訊く事にしよう…。

 

   
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