Choueke Family Residence

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Family Room
Yokohama-Ei
Shunso
koyanagui
Wores
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賢いのは、誰?

クラスメートの中でだれの頭の出来が1番いいか、そんな競争があるのはいつものことだった。サム・テイラーを除けばいつだって女子群らが断然に優勢だった。スペリング・ビー(言葉のつづりを正しく回答する者が勝つゲーム)があれば、要するにそれはスーザン・ハインバーとマーシー・アン・レボビッチの対決なのだ。僕とか他の男子はどんなに威勢良く頑張っても、すぐサイドラインに立たされる始末だった。結局のところ、スーザンかマーシー・アンのどっちが勝ったか憶えてないけれど、どっちにしろクラスの男子は負けたわけだ。マーシー・アンもスーザンもそれ以来親の転勤で学園を去って行ったけれど、その後釜にはスーザン・ゴールドバーグ、ジーニー・バウワーズとか2人名前を挙げてもわかるように、男子群には到底勝ち目がなさそうに見えた。

 

僕たち男子にとって、こういった事は大したことはなかったのだ。これが女子の賢さとかなんかとは関係なくって、よっぽど時間をかけて宿題などやっていた成果にちがいないと、ほとんど僕らみんなが意見一致した。もちろん僕たちは時間をもっと重要なことをするために使う。彼女らがいわゆる教科書を使った勉強には長けていても、それを人生にどう応用するかとなれば、まあ、そういった深いことは僕らに頼ることになる。授業中に誰がどうしたとか、学期末に掲示板に貼り出された成績とか順位とかというのは、だれが本当に賢いのかとはまるで関係のないことだ。僕たちにとっては不公平なことに、自分が他人より優れていることを見せびらかすなんて、なんとも紳士的マナーに反する行為なわけだし。それに、カタチとか意識的に女子群に優越感というイリュージョンを持たせてあげとけば、ぼくらには自然と身に付いてたシバリー(騎士道的精神)への義務に反することもない。

 

一週間の中で、お楽しみといえば学園か生徒の自宅で行われるパーティーだった。学園内でパーティーがあれば、ミスター・ビショップか他の、先生ほどは怖くない大人がお付きだった。もしミスター・ビショップであれば、だれも彼には逆らう生徒はいなかった。これは先生が学園の校長であった現実と関係なかったはずはない。ともかく先生に目を付けられないように、できるだけこっそりと目立たなくしているのが一番だった。そのせいでダンスパーティーでたった一度も事件や問題があったためしがなかった。もし、こっそりタバコでも吸おうとする生徒がいたなら、それは随分な賭けだった。ボブ・パーカーを覚えている人はいるだろうか?それでも吸いたい馬鹿な生徒がいたらそのままパーティーには戻ってこない方がいい。急に盲腸になったとでも言い訳してみるか。証拠として下腹部にある真新しい長いキズをを見せて、ケイセイ病院からカルテを送ってもらってもたぶん信じてはもらえまい。真面目な話、先生は硬派だった。もしミスター・ビショップがなにかをうさんくさいものを感じたら、なんでもお見通しの透き通った青い瞳を向けるだけでこっちの計画は宙に掻き消えた。怒らせたりしたものならシベリアに送られるか、それよりもっとひどい、先生の事務室で他者立ち入り禁止の尋問を受けねばならない。どんな質問が出るか生徒が心配する必要は一切なしだ。生徒はひたすら回答を考えあぐねるだけだから。

 

自宅でのパーティーといえば、その家の親がシャペロンとして僕たちの社交場での責任者みたいなものだった。パーティーはダンスパーティーのことで、それはみんな大騒ぎする行事だった。当時、マリストブラザース国際学校の男生徒たちは『バッドボーイズ』だと評判があって、多くの場合は事実上そうだった。今も昔もあまり変わらないことは、そういったバッドボーイズは箱入りのお嬢様方にとっては大いな好奇心の対象であって、清く正しくつまらないタイプ(ぼくらの事)との違いはどんなものかと、まるで禁断の果実のように惹き付けられてしまう。(禁断といえば、イブの考えでリンゴをかじったぼくらも道連れの宿命になったのは公平なのか?)

 

クッキー・ジャーマインの主催するパーティーはみんなが一年の間一番楽しみにしているパーティーで、行かないなんてありえなかった。ぼくはクッキーにお願いして、このパーティーにマリストブラザース国際学校のリチャード・メルソンを連れて行ってもいいことになっていた。だから本人のせいでもなく(弁護してるつもりはないけど)彼はバッドだという評判がすでにあった。その上、クラスのトップで頭の切れるやつだという評判もあった。バッドだと女の子に魅力的なのは知っていたけれど、頭が切れるってのはどうかなと思う。そんなのはあとの始末が面倒だから人に知らせるもんじゃない。それに男ばっかりのクラスでトップなんてのは、女子もいるクラスでの競争とは比べ物にならない(最低50%くらいはね)。

 

ジャケットとタイできめて、ぼくらはクッキーの家を訪れた。ここが今の習慣とは違うところで、そういった服装はぼくらをお行儀よくみせたものだ。実態としては、当時の基準でいえばぼくらはお行儀悪くて、現代の基準でいえば良いい方だろう。その頃のパーティーにはピカピカの靴にピシッとアイロンをあてたシャツ、タイをして、髪はちゃんとくしででバックにするのが当たり前だった。女子たちはちゃんとパーティードレスを着ていて、魅力的だった。スナックとドリンク(もちろんアルコールぬき)が運ばれ、今こそ博物館にありそうなレコードプレーヤから音楽が流れてきた。その頃、『エベリーブラザーズ』の新アルバムLP(ロングプレー)が発売になったばかりだったのを覚えている。黒くて、ビニールからできた、ピザをのっけるピザディッシュみたいに平たくて、たけど縁が丸くなっていないもので、片面に8曲か10曲づつ入っていた。そのアルバムをクッキーがぼくらの間で真っ先に手に入れたものだから、みんなは聴きたいのとダンスしたいので、居ても立ってもいられなかった。

 

その頃のぼくはスーザン・ハインバーに一番興味があって、そのパーティーに来ることも知っていた。リチャードにはパーティーの前にあらかじめ話をつけておいて、ぼくがスーザンに彼女のどんな望みも気まぐれも全て叶えてあげる間、ちょっかい出さないように端に立っているようにと言っておいた。他の女子らに関してはぼくは知ったこっちゃない、君が好きなようにしてもぼくは構わないって。すごく気前がよく聞こえるけどそんなの大ボラで、実のところぼくの言うことを真面目に聞くなんて影響力ゼロだった。一曲目がかかったと同時に、ぼくは足早にスーザンの座っているところまで大股で歩いていった。勘違いみたいな自信にみなぎって、ぼくは彼女にダンスを申し込んだ。

 

スーザンは、それまでミシェル・バザーテとダリア・モロゾフと会話を楽しんでいたところを丁重に中断して、意味深に立ち上がり、ぼくのリードでダンスフロアまで足を運んだ。そこではものすごいショッキングな事がぼくを待ち受けていたのだ。あまりにも衝撃的で、今でさえ昨日に起きたかのように鮮明だ。ぼくは彼女のウエストのまわりに手を伸ばし、彼女はぼくの肩に手を置いた。彼女の母親の香水の香りが彼女の髪の毛から漂ってきて、酔いしれそうだった。コウベの社交ダンス教室で習った通りに、ぼくらのもう片方づつの手はお互いに重なり合い、高く宙に掲げられていた。その頃ぼくらのダンス講師の名前は、冗談ではなくミセス・シャッフルボタム(『お尻をフリフリ』に聞こえる)で、先生はいつもスターのように輝いていた。といっても大それた訳でもなく、ぼくらコウベのソサイエティの不器用な少年少女たちにとってはそういった人物だったのだ。スーザンはぼくの目をじっと見つめて、こう言った。

 

「トニー。あなたは今まで私が出会った人の中で、一番最低のl嘘つきで、計算高いペテン師だわ。」


「だれがだって?ぼくが?まさか。どうしてそんなこと言うんだい?誤解だよ。おそらく他の誰かとまちがえてる。」


「やめて、ごまかされないわ。分かってるでしょう、自分のことや自分のしたことくらい。」

 

頭の中で思い当たることを長いリストから考えてみた。彼女が一体何について言ってるんだか、あまりにも沢山のことがあったから分からなかったけど尋ねるつもりはなかった。これ以上面倒なことになるのはご免だった。その後ダンス中ぼくたちは一言も交わさず、ぼくは自分のしでかした事がどのくらい彼女にばれているのか考え続け、彼女はすべて計算どおりに運んでいるようだった。ダンスが終わると、ぼくは失望のあまり頭を低くして、仲間にはひとりにさせてくれと言った。なんでそんなにおとなしく引き下がったのか、と訊くだろう。それはぼくが彼女の言ったことが正しいと知っていたからだけど、またどうしてこんなタイミングで言われなければいけなかったのか、ぼくには知るよしもなかった。はっきりしてるのは、ぼくのことが彼女にはバレたことだ。彼女は、ぼくが彼女にを気があるのを知ってたけど、天秤にかけてみて、クッキーの家での楽しい一夜に当てはまらないと決めたわけだ。

 

ぼくがいなくなり、というか塵のように片付けられて、リチャード・メルソンは以前のぼくらの約束なんか大胆に無視してスーザンにダンスを申し込んだ。ここで思い出すのはサム・テイラーの書く連載コラム『サムに訊く』の一句で、「愛と戦争には公平も不公平もない」(”All is fair in Love and War” )だった。ぼくが受けた冷ややかな態度とは対照的に、リチャードとスーザンはお互いに微笑みを浮かべて、今までにないくらいに楽しんでるみたいだった。それもかなりに。決して誇張していない。音楽はテンポの速いのがおわり、次はスローなものになった。テンポの速いダンスはジルバで、ゆっくりなのは日本語でいわゆるチークダンスと呼ばれるもの(英語ではdancing cheek to cheek)だった。ぼくにとどめをさすようにリチャードとスーザンが夜ぞふけよとダンスしていてる間、ぼくは傷ついたプライド(当時まだプライドはあった)を抱えて部屋の隅でしょげていた。 それでも沈んでいたのは周りの同情を買えるくらいの程度、そしてどんなに打ちのめされたかを見せつけるために必要な時間だけだった。他の候補の女子を追求する時間はちゃんと残っていたのだ。ぼくは有罪らしいが、もしかしたら『バッドボーイで頭の切れる』やつなんか月並みで退屈だと思う女の子が、今度は『嘘つきで、計算高いペテン師』の男の子が魅惑的だと感じてくれるかもしれない。

 

パーティーから帰る途中、リチャードはダンス、とくにチークダンスについての思想をぼくに語ってくれた。彼はニュートンの万有引力の法則を参考に持ち出してきて、人体が二つある場合はその質量と距離間隔によって自然に接近するのだ、と言った。でもリチャードはぼくがその晩体験した例外現象、つまりひとつの人体がもう片方を遠ざける現象、については説明してはくれなかった。自分の説に熱してきたリチャードは、この自然力に反する要素があって、それは二つの人体をお互いから妨げる数層から成る、各数ミリメートルの厚さの布地だと言った。これらの静電気が磁界をどうにかして、チークダンスという行為での人体の接近を妨害するのだ。布地をどかさなければ!と彼は続けて、布地さえなければ理想的な条件のもとで立派な科学研究ができ、ニュートンの法則を実証するほか、自然へのより深い理解を得ることにも貢献するだろう。少しの間、ぼくは彼の言ったことについて考えてみたけど、暗示している意味がよく分からなかったと思う。まあ、これがユニークな個人論であるのは確かだ。学園でのダンス行事を実験室内に移すとかどうだろう。ダグ・モーアヘッドはキャシー・マクリオドとダンスした後にガスバーナーを扱うのは禁止だな。あらゆる事情を興味深く検討しているうちに、2番バスの到着で思考が途切れてしまった。ぼくたちはゴコクジンジャマエからカノチョウサンチョウメまで乗って、そこからは自宅まで歩いて帰った。カエル色の緑のふかふかなベルベットに覆われた席に身体を沈ませながら、ぼくはふと、話題に夢中になっていたけれど自分の暗い現実は変わらないんだと気が付いた。いまさらながら、スーザンがいとも容易にぼくをブーツで蹴飛ばし追い払ってリチャードのお相手をしたことで、だれが賢いのかは明白だった。女子軍の勝利?男子軍は?解釈に個人差があったとしても、ぼくらが賢かったとはだれも決して言えないだろう。

 

   
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