Choueke Family Residence

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Travel and Exploration
Travel Nostalgia
 

藤田嗣治 (1886-1968)

Seated Nude

Portrait of a Young Man, 1920

 

Youki Accoudée devant la Table, 1926

Les divertissements d'Eros, 1927

 

 

 

 

 

Femme et chat, 1920

Chat endormi, 1933

 

Woman in Traditional Dress

Portrait of a Young Lady

 

Fish (1931)

Deux Femmes

 

 

Landscape

by Leonard Tsuguharu Foujita

Train et Personnages Sous la Niege,

by Maximilien Luce (1858-1941)

 

藤田は時代を先駆けて生きた人物です。彼は日本人とフランス人の間に生まれました。あらゆる文化を理解でき、様々な背景や宗教の友人を、数多く持っていました。そして彼自身、自分のそうした性格を気に入っていました。ただしこうした環境にも関わらず、自分の宗教観を捨てることはありませんでした。この宗教に対する信念が、並はずれた美しさを絵に与え、優れた作品を生み出したのです。藤田は早い時期からパリで大変な著名人として注目を集め、財政的にも成功しました。39歳の時、フランスで最も名誉あるラ・レジオン・ド・ヌール勲章を受賞しました。同じ年、芸術愛好家のベルギー人の団体から、ナイトの爵位を授かりました。気まぐれな人々を魅了する作品を生み出しながら、時代の寵児として生計をたてるのは、決して容易なことではありませんでした。藤田は5回結婚しました。彼の興味は常に世界に向けられており、最初の妻と最後の妻は日本人で、2番目から4番目まではフランス人でした。皆さまにも、彼の絵画をご鑑賞いただければと思います。

1886: 藤田嗣治 東京の貴族階級の家柄に生まれる。父親は後の日本軍の軍医総監。若い頃に、有名な 小説家であり医者でもある森鴎外に憧れ、フランス語と西洋の文化を学ぶ。
1910年: この年までに、数多くの勲章や賞を受賞。天皇陛下が、藤田が24歳で描いた絵を購入。
1911年: 韓国に旅行し、国王の肖像画を描く。
1912~1913年: ヨーロッパを旅行。最初にロンドンを訪れ、その後パリに向かう。フランスの現代芸術に魅了され、パリの美術界に才能にあふれた若い芸術家として迎え入れられる。
1917年: この年、パリで初めての展覧会を開き、前衛芸術家の一員としての地位を築く。ブラック、レジェ、モディリアーニ、ピカソ、ルソー、ヴァン・ドンゲン等と親交を深める。彼は寛大な精神の持ち主で、坂東、海老原、長谷川、小柳、鈴木、浮田等の若く意欲的な日本人の芸術家の教師役であり、アドバイザーでもあった。
1924年: 第5回帝天委員に選ばれる。サロン・デ・チュイルリーの最も重要な寄贈者として認められる。東京美術アカデミーの会員になる。藤田は日本人で初めての現代主義的な画家であり、当時の大芸術家達に大きな影響を与えた。ヨーロッパとアメリカの両大陸を旅行して回る。
1925年: フランスからレジオン・ド・ヌール五等勲章を、ベルギーからは「ナイトの爵位」を贈られる。
1939~1941年: 第二次世界大戦の開戦直前に、アメリカからパリに渡る。
1941~1950年: 生まれ故郷である東京に戻る。帝国芸術院会員の会長になってからも、絵を描き続ける。
1968年: スイスのチューリッヒで、81歳で死去。後に遺体は、彼がかつて装飾を施して好評を博した、ランス市にある大聖堂の礼拝堂に埋葬される。

 

   
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