Choueke Family Residence

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アルドー

<偏見の話>

みんなそれぞれ『アルドー』的な身の上話があるし、ぼくもそうだ。ぼくの話は先史時代くらい大昔のもので、アルドーとぼくは(なんと)マリスト ブラザース国際学校の生徒どうしだった。その頃マリストブラザースで落ちこぼれるとCA に送られ、CAでも落ちこぼれるとホームスクールか矯正施設か牢屋行きだといわれていた。マリストから追い払われた生徒がCAにすんなりと受け入れらて楽観的に『復帰』を期待されることは、一方の学園では手っ取り早い問題の解決手段、もう一方ではキリスト教徒的な慈愛のいい例だった。そんなわけでぼくやボミ・シロフ、ナワウィ・ハサンその他は、忘れられるべき実験の対象でスマから引っこ抜かれた雑草のやからだったから、マヤサンのふもと付近のまだ汚されていない丘に植え直されても良い結果はあまり望めなかった。アルドーは例外でマリストとCAの両校を卒業したという、稀な生徒だった。どうやってしでかしたかは彼が聖なる父に内密に告白するかもしれないが、おそらくその貴重な情報を自分の墓まで持っていくことだろう(既にしていなければ)。彼のことを知っていたぼくらにぜひ説明してもらいたいものだ。

 

ぼくは五年生でアルドーは三年生だった。その頃はみんなお互いにニックネームをつけるのが通常で、しかもあんまり聞こえのよくないものがほとんどだった。そのルールの例外の一つがジョン・ハンセンの『ハンサム・ハンセン』だった。悪気はなくとも、たいがいブラザーがニックネームで呼ばれるときは周りの生徒から忍び笑いがもれてきた。自分でどう呼ばれてるのか知らない者もいたかもしれない。ブラザー・チャールズは『チャーリー』、ブラザー・スティーブンは『スティージー』、ブラザー・ビンセントは『海賊黒ひげ』、ブラザー・フランシスは『フランコワ・ベノ』、ブラザー・ラファエルが前立腺手術を受けた後は『プラスチック・ポッツ』、ブラザー・ジョージは『ジョージー・ポージー』、などなど。こういったお行儀の悪さは先生方のせいでは全くなく、教育されるべき野生の動物たちにあった。野蛮な獣を手なづけて教育することは黒いローブで身を包んだ先生方にとっても容易な事ではなかったのだ。

 

ある日ぼくが校庭をなにげに歩いていたら、背中から押し殺した声がこう聞こえてきた。「トニー・トンカツ。」豚肉の、トンカツだ。トニーと呼ばれるのは学園で他にいなかったから、ぼくは自分のことだろうと推察した。そんなことをするのは誰か決まっていた。他の誰でもない、アルドーだ。同じ豚系でもイノシシと呼ばれる方がよっぽど良いのだが、あいにくぼくの名前とは韻を踏むことができない。豚まんと呼ばれるよりはマシかもしれないが、やせっぽちのぼくにはふっくらな豚まんのイメージには合わない。だけどトンカツはひどかった。学園にはたくさんの文化が入り交じっていたから、他の文化について保守的なそして偏見的な考えをもつ家庭から来た生徒もいたわけだ。ユダヤ教徒かモスレム教徒、もしくはヒンズー教徒であっても、豚肉の揚げ物なんて呼ばれるのはきっと最悪最低の侮辱のひとつだろう。

 

当時そういった衝突は『クラの裏で』対面し、カタをつけるのがおきまりだった。ぼくがそのときに真っ先に思ったのは、アルドーをクラのうしろに呼び出して、目上や優位者に対する尊敬について教育してやろうかということだった。けれども早まって反応する前に、二つのことを検討しなければいけなかった。まず、アルドーはぼくより二学年下だったけれども、結果的にどっちが教育者でどっちが教育される身になるかは保証できなかった。年下であるアルドーはなかなかの強者だということをスポーツで見せつけていたし口も達者だった。二つ目に、こういった事に関しては、抗議したり反応すると他の生徒から弱点だとつけこまれて更に悪化するかもしれないということだ。この学園内の獣たちの行動に関するダーウィンの種の起源と自然選択説はおそらくダーウィン自身も研究することを検討したあげくに、時間の制限で断念にしたにちがいない。もちろん彼がビーグル号に乗って航海し日本列島までたどり着くまでの危険度もあったし、なんといってもその頃の日本のヤキトリのメニューはまだ発展途上中で現在のモノとはほど遠いものだった。そんなわけでぼくは、どうやったら通り過ぎるたびにハイエナたちの『トンカツ』の合唱を浴びさせられずに済むかと、考えることにした。内心怒りが沸騰していたけれど、なんでもなかったかのように振る舞う事にしたのである。耳をすましていた残りのオオカミたちは傷負った小動物に気がつくことなく、もっと面白そうで美味しそうな獲物を探しに去って行った。危ないところだった。

 

何回となくトンカツと呼ばれた事から立ち直ったのは、あれから数年たった後だった。学園生活からは長い間離れているけれど、アルドーの影響からは遠ざかる事ができなくて、あの事件はぼく頭の中で新鮮な記憶のままだ。自己への尊重心を持ちつづけながらトンカツと呼ばれるのはいいのか?それはおそらく無理だろう。もし『イノシシ』だったら少しは尊敬されたかもしれないけど、覚えやすいキャッチフレーズ、ラブソングや厭味なニックネームはとうてい無視できるものじゃない。あの時、一生の深い傷を負ったけど、それでもなんとか家族の支援もあって頑張ってやっていけるようになったのは、きっとぼくがアルドーのことを気に入ってたからだと思う。

 

   
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